市街地に戻ってきた。まだ午前10時10分だ。見知らぬ土地で,家屋のないところを自転車で数キロ走ってきたので,人の姿は見えなくても家が見えてくるとホッとする。確かに人は時々見かける程度で,村全体がガランとしている。200人にも満たない島だから当然だ。始発便で島に入って,まだ2便目が到着していないので,今日この久高島に入ったのは,本島からの始発便に乗っていた40人くらいだ。そのうち島の住民が半分くらいはいるだ...
Yukky's ワールドウォッチング
掲載写真26400枚超。総合旅行業務取扱管理者資格及びJTB旅行地理検定上級資格保有者が紹介するアジア・ヨーロッパ・北アメリカ・オセアニア!海外らしい景観も多い北海道と沖縄も併載!
Top Page › Archive - 2019年01月
「アヤラ・センター・セブ」の本館に戻る。ケータイショップや電器屋などがあり,生活にゆとりのある層が買っていく。地下にはフードコートがある。中編で紹介した別館で食べるのもよいが,安く簡単に済ませたければこの手もあるが,あまり落ち着く場所ではない。アジアではどの国でも鶏肉の人気が高く,上層階にあるKFCは混んでいた。夕方から夜にかけて,外のジプニー乗り場は混雑してくる。買い物をして家に戻り始めるからだ。...
30分前になって劇場に行った。すでにホールには客が数十人いて(団体それも日本人の団体が多い),劇場内にも入れるようになっていた。客には日本人が多く,西洋系の顔も少なくない。劇場内は2階もあり,かなり広い。千人以上は入れるだろう。購入したチケットは前から2列目。臨場感はあるが,前過ぎて,少し上向きに見なければならず首が疲れる場所だった。前から数列目辺りがこの劇場では最も適した場所と言えるだろう。ところ...
自動車やバイクの燃料は,日本ではガソリンスタンドで給油するのが普通だ。バリ島では,とくにウブドなど山間部に入るとガソリンスタンドらしきものはほとんど見当たらない。ウブド市街地の南側の入口付近(ブンゴセカン)に,大きなガソリンスタンドはあるが,エリアの広さのわりには数は圧倒的に少ない。そこで,地元のワルンがガソリンスタンドを兼ねたり,小瓶で販売していたりする。ガソリンスタンドとは言っても,小さなタン...
「アヤラ・センター・セブ」には,別館としてレストラン街がある。緑豊かな中庭(芝生や木立)が配置され,それを囲むような3層構造(L1~L3)の建物がレストラン街「The Terraces(ザ・テラス)」だ。世界各国のグルメが50店舗ほど並んでいる。通路は中庭に面し,散策がてら店を探す感覚の,ゆったりした設計になっている。スターバックスなどカフェもあるので,長時間の買い物ならこちらに来て休憩ということもできる。スタ...
大阪・伊丹空港の内装が昨年大幅にリニューアルされた。北にJALのターミナル,南にANAのターミナルと分かれ,バス乗り場もそれぞれに分かれていたが1か所に統一され,出口も中央に一つとなった。搭乗待合室も従来の空港のようにイスだけではなく,木製のイスとテーブルが置かれ,搭乗ギリギリまで作業ができるようになった。空港という雰囲気がなく,一瞬図書館かと見間違えてしまう。【2019/1/19(土) 午後 6:46】↓大阪空港の搭乗...
三峡というと,真っ先に「牛角パン」だ。クロワッサンに見えるが,字の通り,牛角に似せたパンなので,クロワッサンとは食感がまったく異なる。店はたくさんあり,三峡老街入口の「金牛角」がとみに有名だが,混んでいたので三峡市街地に向かった。目についた店は,入口に黄金の牛のマスコットがある「金三峡牛角」だ,味は4種類あるが,「原味」というノーマルな牛角パンを購入。クロワッサンに比べて重く,外はサクサク,中は柔...
ブイヴィエン通りを西に進む。朝方はバイクの往来が多く,物売りおばさんの稼ぎ時だが,道端でじっとしていて何をしているか不明の人もたくさん見られる。暇つぶしでボーっとしている者もいれば,屋外で縫製を行って働く者もいる。日本の風景とはだいぶん違う。日本で写真を撮っていていちばん邪魔なものは電柱と電線だ。とりわけ東京はヨーロッパの諸都市はもちろんソウルや台北からも電線の地中化率は相当に遅れている(月とすっ...
「フライングタイガー」は,デンマークを中心にヨーロッパや日本で展開している雑貨チェーン店で,最近商標を,「フライングタイガーコペンハーゲン」としたとか。かなり前から,「北欧の100均」として日本のメディアでも紹介されたことがある。しかし,北欧の物価から考えてもそんな安いはずはないし,全品均一価格でもないだろう。コペンハーゲンを訪れた際に,本店に行く機会があり,実際に訪れてみたが,確かに予想していた通...
「景福宮(キョンボックン)」は朝鮮王朝創始者イ・ソンゲが1395年に建てた王宮(正殿)だ。その後秀吉による朝鮮出兵等の焼失で,離宮の昌徳宮(世界遺産)が正殿に使用されるようになり,19世紀までは放置された状況だった。再建が開始されても大日本帝国による統冶が始まり,光化門と興礼門との間の敷地には旧朝鮮総督府が建てられ(取り壊される1996年まで国立中央博物館として使用),復元工事もなかなかはかどらなかった。21世紀に...