富山日帰り紀行1~JR+第三セクター鉄道で富山へ
Diary3年前の11月に日帰り観光で富山市に行ってきた。往路はJR新幹線+第三セクター鉄道,復路は飛行機で,富山市には5~6時間は滞在できる計算だ。今LCCではやりの弾丸旅行には似ているが,片道は鉄道なので,日帰りとは言え,弾丸旅行とも言えない。朝東京駅から,金沢行きの北陸新幹線に乗り,上越妙高駅で「えちごトキめき鉄道」に乗り換え直江津へ(旧JR信越本線)。同じ鉄道会社でも,直江津では乗り換えとなり,また同じ「えちごトキめき鉄道」の電車で泊駅へ向かった(旧JR北陸本線)。泊駅からは折り返しの富山行き「あいの風とやま鉄道」の電車に乗り,午後1時過ぎに富山駅に到着した。第三セクター鉄道会社に移管された区間全線,国鉄時代に乗車したことがあったので,30年以上の時を隔てたことになる。富山には何度か来ているが飛行機が多いので,鉄道旅は新鮮に思える。今では新幹線で東京・富山間は2時間半ほどなので,第三セクター鉄道経由でなければ,午前10時過ぎには富山に着いていた。【2022/11/30(水) 午前 5:00】 |
↓金沢行き「かがやき」(東京駅)

2年半ぶりに訪れた復興中の首里城~那覇59
那覇首里城正殿と周辺施設が焼失して約3年が経った。その半年後に復興展示をやっていると聞いて,訪れたことがある。それから2年半が経ち,開門時に行ってみた。銅鑼を鳴らす「御開門式(うけーじょー)」を見て早速入城。「奉神(ほうしん)門」を潜るとすぐ目の前に木材倉庫・原寸場のある大きなプレハブの建物がある。その周りに,赤瓦等の焼失物が展示されていて,火災時の写真とともに当時を振り返ることができる。復元現場を見る限り,まだそれほど進行しているという気配はないが,建物が立ち始める前が長いようだ。正殿の後ろ側にあった「世誇(よほこり)殿」や「女官(にょかん)居室」は焼失を免れ,後者は土産物売場となっている。天気が良いので,「東のアザナ」に向かった。工事現場のプレハブの建物や守礼門,さらには那覇市内も見渡せ,当時の王様気分?を味わえる。復路は一部往路と重なるが,城から出る門は,入口とは異なる叔順(しゅくじゅん)門となっている。【2022/11/29(火) 午前 5:00】 |
↓「木曳(こびき)門」に通じる首里城の入口

久茂地で担々麺~那覇58
那覇久茂地川沿いの久茂地界隈には飲食店が多い。その中でも自家製麺を使う担々麺の店は「登竜門」くらいだろうか。「濃厚担々麺」は辛さも十分なものがあり,濃厚スープと麺がよく絡み合い,いい味を出していて病みつきになるほどだ。自家製麺は48時間寝かせ,自家製スープには宮崎地鶏を使うなどこだわりがまた食欲を誘う。午前5時まで営業しているらしく,沖縄では飲んだ後の〆はステーキが定番だが,ここの担々麺でもいいかもしれない。しかしそれは日が変わった頃の時間帯で,午後3時や4時に食べにくる人がいるのかどうかは定かではない。ここは歓楽街の松山が近いので,従業員が仕事終わりに来ることは十分考えられるので,午前5時までの営業でも需要があるのだろう。【2022/11/28(月) 午前 5:00】 |
↓「登竜門」入口

11月最後の「トランジットモール」~那覇57
那覇チャイナタウン歩き1~ワット・マンコン・カマラワート・前編~バンコク97
バンコクバンコクにあるチャイナタウンは,フアランポーン駅の西側,ヤワラート通りやチャルーン・クルン通りを挟んで,広い地域にわたる。MRTブルーライン(都心部は地下鉄)が延伸し,チャイナタウンにも駅(ワットマンコン駅とサムヨート駅)ができたので,10年前よりははるかに行きやすくなった。ワットマンコン駅を降りて地上に出ると,街全体が赤色や朱色を中心としたペインティングや飾りつけで,すぐにチャイナタウンとわかる。販売されている商品もパッケージに赤を使ったものが多い。【2022/11/26(土) 午前 5:00】 |
↓チャイナタウンの店先
