福隆新街を南に抜け右に曲がると,まもなく左に曲がる道路がある。そのまま直進すればそれほど起伏もなくいずれ下っていく道だが。左折する道路の先は急な上り坂になっており,地図も持っていないのでふつうなら直進するだろうが,しばし急坂を上るのもいい体験だと思い,左折する。まわりは住宅街だが,小さな店も混ざっている。左側に年季の入った古めかしい建物が見えてきた。玄関脇に人はいないもののマカオの警察署である。門...
Yukky's ワールドウォッチング
掲載写真26300枚超。総合旅行業務取扱管理者資格及びJTB旅行地理検定上級資格保有者が紹介するアジア・ヨーロッパ・北アメリカ・オセアニア!海外らしい景観も多い北海道と沖縄も併載!
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セナド広場に面して,左奥の建物に歴史のある麺屋が入っている。『黄枝記(ウォンチーケイ)』という店で,創業は戦後すぐの1946年だとか。間口は狭いが,奥行きはあり,3階建てである(地下1階)。朝から麺というのは日本ではどうかと思うが,朝食を外で食べる中国人にとっては麺とて欠かせない朝の食事である。この店では,1日1000食以上麺が出るというが,すべて手打ちらしい。確かに麺の太さが均等ではないので手打ちのよう...
マカオの路線バスは把握することが難しいと言われる。それは,狭い地域にもかかわらず,右折や左折を繰り返し,遠回りで目的地に向かうからだ。そんな訳で東から来たバスだから西の方向に行くとは必ずしも限らない。途中で向きを東に変えるかもしれない。しかし,『マカオフェリー乗り場』発着,『媽閣廟(マッコミウ)』発着,『関門』発着などのバス発着所はそれぞれ,東,西,北端に位置し,ここから出るバスは番号が違っていて...
聖ポール天主堂に行く手前の左側に「鉅記手記(コイゲイサウソン)」(「手記」は土産の意)という店(鉅記餅家)がある。以前紹介したタイパ島官也街にもある。本来マカオ風中国菓子の店(アーモンドクッキーが有名)だが,通りがかりに店先でエッグタルトを販売していたので,思わず手が出てしまった。この店に面する聖ポール通りにはエッグタルトを売っている店が数軒あり,味にあまり差はないようだ。差がなければ出来立てを食...
今回紹介する店は『カフェ・エ・ナタ』。実はここは,『安徳魯餅店(ロードストーズベーカリー)』の創業者,アンドリュー・W・ストウ氏の元の奥さんマーガレットさんが営む店である(→「エッグタルトを食する(前編)」参照)。【2011/1/4(火) 午後 6:43】↓『カフェ・エ・ナタ』の店先マカオ半島のホテル・リスボアから歩いて2分くらいの裏通りにある。店は小さいが,外に軒差しを伸ばし,その下にテーブルが置かれ,そこで座...
No title * by suk**an1*12
ここ知っています。いつもすごい人ですので買わないのですが。美味しかった?
No title * by yukky
味はいいですよ。熱すぎて味がわからなくなることも...
エッグタルトの発祥地,というよりエッグタルトを広めたのはマカオである。そのマカオでも最南端のコロアネ島コロアネ村の中央広場に面した『安徳魯餅店(ロードストーズベーカリー)』というパン屋がエッグタルトを広めたのである。1989年にイギリス人オーナー故アンドリュー・W・ストウ氏が始めた店で,1日3000個も焼き上げるという(現在は妹のアイリーンさんが継いでいる)。交通が不便にもかかわらず,遠くマカオ半島からバ...
コロアネ村の最南端,といっても町並みが切れるあたりに中国・珠海(チューハイ)市と海を隔てて社がある。『譚公廟(タムコンミウ)』という道教寺院で,航海の安全を守る神・譚公を祀っている。ただし,マカオ中心部からのバスはここまでは来ていない。聖フランシスコ・ザビエル教会からはさらに海沿いを南に4~5分歩いたところにある。手前が広場になっていて,左側に山の方に入っていく道(郷村馬路)があるが,それはマカオ...
リスボアホテル&カジノは地元カジノの筆頭だ。そのリスボアがラスベガス資本のホテル&カジノを迎え撃つべく,巨大ホテル&カジノ(=「グランドリスボア」)をリスボアから道一つ挟んだ土地に建てた。この建物はマカオ半島だけでなく,タイパ島からも見える一風変わったビルで,上に向かって少し広がっているような外観で,金色と黒色をモチーフとした塗装である。遠くから見るとウルトラ怪獣のゼットンをイメージしてしまう。た...
聖ドミニコ教会はセナド広場の南東から行くと,突き当たりの左側にある。まわりは若者向けの衣料品店が多く,マカオ随一のシャレたストリートだろう。在来の商店街が少し離れたところにあるが,歩道が狭く,モザイク道路ではなく,西洋風の建物でもないので,若者向けにはほど遠い。この聖ドミニコ教会は1587年創建のバロック式である(大規模な修復の結果,1997年に再オープンした)。淡い黄色の壁の大きな教会で,濃い緑色のドア...
No title * by asakusa
外国での日本発見は、いい感じだね
No title * by yukky
アジア各国ともコンビニに行くと必ず日本の商品が売られています。ヨーロッパでさえマルタでは柿の種が売られていました。
セナド広場から新馬路(「馬路」は大通りのこと)を挟み,南西の方向に2,3ストリート裏に入った辺りに,今までのマカオのストリートとはちょっと異なる街並みがある。福隆新街と名前のついたストリートで,2階建ての建物が並んでいる。薄汚れたコンクリートの打ちっぱなしのような建物が多いマカオにあって,不思議な一体だ。白い壁に赤い格子戸と透かし彫りの入った格子窓という長屋が続く。間口は狭いが奥行きはありそうだ。...
1513年に、当時世界有数の海洋大国として世界各地にその覇権を誇っていたポルトガル人がマカオに初渡来し、明王朝との交易を開始した。
その後、1557年にポルトガルが明から居留権を得、中国大陸における唯一のヨーロッパ人居留地となった。但し、この時期のマカオの領有権はポルトガルではなく明にあり、明がマカオに税関を設置するなど主権を有していた。
なお、この前後にカトリック教会の宣教師でイエズス会の創設メンバーの1人であるフランシスコ・ザビエルが、ポルトガル政府の支援の下、マカオを拠点に東南アジア各地でキリスト教の布教活動を行っていた。
この頃のマカオは、日本が鎖国するまでは長崎との貿易で繁栄を極めた。しかし、その後は明清交替期の動乱や広東(広州)の対外開放により、アジアにおける一大貿易港としてのマカオは次第に衰えていった。