「旧朝鮮総督府庁舎」を利用した旧国立韓国中央博物館を入ると,大きな吹き抜けがあり,さらにシャンデリア等装飾も凝っているので,博物館としては体裁のよい建物だ。展示物一つひとつの記憶はないが,建物の豪華さだけは写真とともに記憶している。豪華さのわりには,展示スペースは狭く,現在の国立韓国中央博物館のように十分なスペースを持った建物ではなかったと記憶している。この辺りから見る北漢山はもちろん現在と変わる...
Yukky's ワールドウォッチング
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国立韓国中央博物館は現在,ソウル市龍山(ヨンサン)区の米軍基地跡に建っている(2005年~)が,それ以前の一時期,景福宮(キョンボックン)宮殿前にあった「旧朝鮮総督府庁舎」に10年間入居していた(1986~1996年)。1992年のソウル訪問時がその時期にあたり,「旧朝鮮総督府庁舎」を利用した国立韓国中央博物館に入館することができた。「旧朝鮮総督府庁舎」は1996年に解体されたが,花崗岩を外壁に使った鉄筋コンクリート4...
ソウルについて真っ先に食べたのは,ロッテ百貨店内にあるレストランで「プルコギ」だった。それに「真露」をつけて,味わった。「プルコギ」も「真露」も初めて口に入れるものだったが,抵抗もなく食べることができた。当時は韓国料理と言えば焼肉だったが,プルコギは甘いたれを絡めて焼くので,珍しい料理だった。メインを注文するとおかずが無料で付いてくるというシステムも日本にないもので,初体験だった。【2018/1/27(土) ...
今でこそソウルの明洞に行けば,日本人や中国人で賑わっているが,1992年末は年の瀬を迎え,クリスマスセールで賑やかな明洞界隈で日本人に会うことはなかったし,中国も観光目的の海外旅行が禁じられていたため,中国人も皆無で,明洞は韓国人だけの繁華街だった。日本人が韓国に入国するには,観光でもまだビザが必要であった時代で,日本文化(書籍・音楽CDなど)の輸入は禁じられていた。とはいえ,明洞の片隅で日本のファッシ...
漢江(ハンガン)の南側に位置する江南(カンナム)は近年は開発が進み(とくにソウルオリンピック以降),高層ビルやショッピングストリートなどが整備された。1992年の江南は,オリンピック景気が冷め,江南の開発もこれからという時期に当たり,表通りはそこそこの近代的なストリートではあったが,大きな通りを一歩脇道に逸れると,ごく普通の住宅街が広がり,表通りとのギャップが大きかった。「ごく普通」とはいっても,門の...
北朝鮮に源を発し,ソウルのど真ん中をほぼ東から西に流れる漢江(ハンガン)は全長497.5kmの河川だ。日本最長の信濃川よりもさらに100km以上長く,下流のソウル市街地では川幅が1kmにも達する。冬になると,河岸では冷たい風が吹き,気温以上に寒くなるが,そんな寒さの中でも釣りをする人が少なくない。1992年末の日中に訪れた際には,気温が0℃くらいにもかかわらず,川岸で釣りをしている人を多数見かけた。対岸には1988年に...
600年続く南大門市場では衣類・雑貨が圧倒的な割合を示すが,生鮮食品や加工食品も扱っている。キムチや魚介類,真露等の焼酎や海苔といった土産にもなる食品が多い。初めて間近で見た「豚の顔」には衝撃だったが,中国の影響を色濃く残すため,「豚の顔」は中国同様に祝い事等の行事に使われる。今では韓国ドラマでよく見かけるので,間近で見ても何とも思わなくなっているが。【2016/11/20(日) 午前 11:56】↓キムチは種類が多い↓...
南大門市場は600年も続く市場だ。1992年に初めて訪れた時も,現在以上に活気に満ち,年の瀬ということもあって,たいへんな混雑ぶりだった。日本では年末となると,おせち料理の材料を買い出しに,食品売り場に客が殺到するが,韓国では,年末までクリスマスが続いているため(クリスマスツリーは年末まで飾られている),クリスマスや正月のプレゼント探しに,市場も百貨店も,食料品売り場以外が賑わう。時々雪がちらつき,夜間...
1992年12月末に訪れた時のソウル駅の駅舎はまだ現役で,年の瀬のためか人であふれていた。旧ソウル駅舎は日本統治下の1925年に完成し(当時はソウル駅ではなく,漢字で京城(けいじょう)駅),2003年に現在のガラス張り近代駅舎が完成したことによって役目を終えた。しかし,文化的価値が高いと評価され,保存が決まり,2011年から「文化駅ソウル284」と名称を変え,ソウル駅の歴史などの展示を中心とする複合文化空間として生ま...
ソウルを初めて訪れたのは1992年の暮れだった。12月末だというのに,ソウルは雪がうっすらと積もっているだけで,比較的乾いた路上は砂埃が舞っていた。道路幅がやたら広く,空港(当時は金浦空港)と市内を結ぶ道路はダンプカーの往来が激しく,発展途上国を彷彿させた。ソウルオリンピックが終わって4年経っていたが,ソウルの建設ラッシュは続いていた。とくに漢江(ハンガン)から南側の,いわゆる江南(カンナム)地区は発展...