旧国立韓国中央博物館訪問・後編
ソウル1992「旧朝鮮総督府庁舎」を利用した旧国立韓国中央博物館を入ると,大きな吹き抜けがあり,さらにシャンデリア等装飾も凝っているので,博物館としては体裁のよい建物だ。展示物一つひとつの記憶はないが,建物の豪華さだけは写真とともに記憶している。豪華さのわりには,展示スペースは狭く,現在の国立韓国中央博物館のように十分なスペースを持った建物ではなかったと記憶している。この辺りから見る北漢山はもちろん現在と変わることなく,景福宮からよく見える(もちろんソウルのどこからも)。【2023/2/18(土) 午前 5:00】 |
↓旧国立韓国中央博物館エントランスホール(1992年)

博物館の上層階からは世宗路(セジョンノ)が見えた。当時は片道8車線(往復16車線)もあったが,2000年代になって,中央にイ・スンシン(李 舜臣)像を置く公園ができたため片道5車線に減ってしまった。この世宗路界隈は,2007年に韓国ドラマ「エアシティ」(「冬ソナ」「天国の階段」のチェ・ジウ,「イカゲーム」のイ・ジョンジェ主演)のロケで1日中閉鎖され,派手な爆破シーンが撮られた場所でもある。東京ならさしずめ都心の新宿通りで,終日全ての交通を止めて爆破シーンを撮るようなもので,日本の映画やドラマでは絶対に不可能だ。金が膨大にかかり,安全の面から責任を取りたくない警察は絶対に許可をしない。さらに日本では脚本家やスタッフ等作る側のやる気もすでに喪失してしまっているから100%無理だ。 |
旧国立韓国中央博物館訪問・前編
ソウル1992国立韓国中央博物館は現在,ソウル市龍山(ヨンサン)区の米軍基地跡に建っている(2005年~)が,それ以前の一時期,景福宮(キョンボックン)宮殿前にあった「旧朝鮮総督府庁舎」に10年間入居していた(1986~1996年)。1992年のソウル訪問時がその時期にあたり,「旧朝鮮総督府庁舎」を利用した国立韓国中央博物館に入館することができた。「旧朝鮮総督府庁舎」は1996年に解体されたが,花崗岩を外壁に使った鉄筋コンクリート4階建ての迫力ある建物だ。場所が朝鮮王朝の正宮の前ということで,朝鮮の人々を威圧するには都合のいい場所だった。 1992年の旧国立韓国中央博物館訪問と2016年の景福宮訪問の時の写真を比べてみたい。光化門自体はとくに変化はないが,門をくぐったその先を見ると,1992年には「旧朝鮮総督府庁舎」の建物があるのに,2016年にはいきなり景福宮の興禮門が目に入ってくる。光化門と興禮門前の間に大きな建物があったとはとても思えない。とくにZ世代には,過去の写真を見せなければイメージもつかないだろう。【2023/2/16(木) 午前 5:00】 |
↓世宗路から光化門と旧国立韓国中央博物館をのぞむ(1992年)

韓国で食べた初料理
ソウル1992ソウルについて真っ先に食べたのは,ロッテ百貨店内にあるレストランで「プルコギ」だった。それに「真露」をつけて,味わった。「プルコギ」も「真露」も初めて口に入れるものだったが,抵抗もなく食べることができた。当時は韓国料理と言えば焼肉だったが,プルコギは甘いたれを絡めて焼くので,珍しい料理だった。メインを注文するとおかずが無料で付いてくるというシステムも日本にないもので,初体験だった。【2018/1/27(土) 午後 6:43】 |
↓「プルコギ」とおかず,真露

翌日,スキーをしようとホテルで用具をレンタルし,ベアーズタウン(郊外のスキー場)に向かったのだが,雨交じりの雪で,降雪も少なく,スキーは諦め,帰る途中の農村の食堂で「冷麺」を食べることになった。冬に「冷麺」というのは日本ではあり得ない話だが,韓国のように暖房が整っていて,むしろ暑いほどの室内では「冷麺」が合っている。盛岡冷麺のように噛み切るために麺と格闘する冷麺とは異なり,食べやすかった。 |
↓ソウル郊外の農村で食べた「冷麺」

1992年末明洞界隈
ソウル1992今でこそソウルの明洞に行けば,日本人や中国人で賑わっているが,1992年末は年の瀬を迎え,クリスマスセールで賑やかな明洞界隈で日本人に会うことはなかったし,中国も観光目的の海外旅行が禁じられていたため,中国人も皆無で,明洞は韓国人だけの繁華街だった。日本人が韓国に入国するには,観光でもまだビザが必要であった時代で,日本文化(書籍・音楽CDなど)の輸入は禁じられていた。とはいえ,明洞の片隅で日本のファッション雑誌が並べられている光景も目に入ってきた。ロッテ百貨店では,ソニー製のビデオカメラのテープが高価だが買うことはできた。工業製品には制限がなかったようだ。高価なのは需要自体がほとんどなかったからだろう。ロッテ百貨店では,エレベーターガールが気軽に被写体になってくれるほど,商売人の愛想はよかった。韓国がある面遠くて,ある面近い国ということが実感できた。【2017/8/16(水) 午前 9:04】 |
↓明洞界隈

1992年江南の住宅街
ソウル1992漢江(ハンガン)の南側に位置する江南(カンナム)は近年は開発が進み(とくにソウルオリンピック以降),高層ビルやショッピングストリートなどが整備された。1992年の江南は,オリンピック景気が冷め,江南の開発もこれからという時期に当たり,表通りはそこそこの近代的なストリートではあったが,大きな通りを一歩脇道に逸れると,ごく普通の住宅街が広がり,表通りとのギャップが大きかった。「ごく普通」とはいっても,門の立派な,今では高級住宅なのだろうが,道路の両側に,空き地も公園もなくびっしりと住宅が並び,窮屈さが際立つ裏通りもあった。今はどうなっているかわからないが,これらの住宅はリニューアルされたのか,それとも立ち退き等で,裏通りにも商業ビルが立ち並んでいるのか,定かではない。【2017/1/22(日) 午前 10:28】 |
↓江南テヘラン路北側の住宅地
