福隆新街を南に抜け右に曲がると,まもなく左に曲がる道路がある。そのまま直進すればそれほど起伏もなくいずれ下っていく道だが。左折する道路の先は急な上り坂になっており,地図も持っていないのでふつうなら直進するだろうが,しばし急坂を上るのもいい体験だと思い,左折する。まわりは住宅街だが,小さな店も混ざっている。左側に年季の入った古めかしい建物が見えてきた。玄関脇に人はいないもののマカオの警察署である。門...
Yukky's ワールドウォッチング
掲載写真26300枚超。総合旅行業務取扱管理者資格及びJTB旅行地理検定上級資格保有者が紹介するアジア・ヨーロッパ・北アメリカ・オセアニア!海外らしい景観も多い北海道と沖縄も併載!
Top Page › Archive - 2013年06月
バンコクのBTSのキップ売場の横に,背丈を測るメジャーが取り付けられている。背が著しく伸びる子ども用なのだろうが,大人が測っても悪いということはなさそうだ。下は20cmくらいから測れるが,その背丈では測らせること自体が無理なので,小学生くらいから使われることになるのだろうか。とはいっても,ここで背を測っている子どもを見たことはないし,BTSに子どもが乗ることも少ないので,利用率はほとんどゼロに近いと思...
上環(ションワン)のフェリーターミナルには飲食店を中心に日本でよく見かける店が多数入っている。吉野家や元気寿司,スターバックスコーヒーなどターミナル内だけを歩いていても,とても外国には思えない店舗の数々だ。値段は日本と同じくらいなので,香港の物価水準からするとかなり高めだ。港だから高いというのではなく,日系の店はもともと値段を高めに設定してある。しかし,日本ブームの香港では,少しくらい高くても,日...
柏崎市(新潟県)に行く機会があった。たまたま行ったその日から「えんま市」という夏祭りが街の中心部で行われていた。新潟三大市の一つだとか。毎年6月14日~16日が祭りの当日だが,今年は偶然週末に当たったので,いつもは人通りの少ない街の中心部が,30℃という炎天下でもわりあい賑わっていた。とくに何かの催しがあるというわけではなく,延々と露店が続くというだけの祭りだが,露店の数では,東京など大都市の祭りの露店数...
香港・マカオ間フェリー(『ターボジェット(噴射飛船)』)のターミナルは香港島の上環にある。九龍にも別のフェリー会社(『ファーストフェリー(新渡船)』)があるが,ここがいちばん利用されているようだ。前者はマカオまで50~60分で24時間運行,後者はマカオまで60~75分で夜間の運行はない。後者は小さな船にあたるとかなり揺れるらしいので,こちらの人気が断然高い。【2013/6/8(土) 午後 11:05】↓ターボジェットは双胴船...
さらに進むと右側には,i-Phoneを扱う携帯電話キャリアの会社が見えてくる(中華電信國際通信)。入口の前には牛が居座っている。牛のキャラクターといえば,台湾のAcerに買収されたアメリカのパソコンメーカー「Gateway」を思い出すが,それと何か関係があるのだろうか。歩道を歩いていたら,オブジェとはいえいきなり牛が出てくるとかなりのインパクトがある。【2013/6/1(土) 午後 7:36】↓突如現れた「牛」↓「牛」がお出迎えとは...
1513年に、当時世界有数の海洋大国として世界各地にその覇権を誇っていたポルトガル人がマカオに初渡来し、明王朝との交易を開始した。
その後、1557年にポルトガルが明から居留権を得、中国大陸における唯一のヨーロッパ人居留地となった。但し、この時期のマカオの領有権はポルトガルではなく明にあり、明がマカオに税関を設置するなど主権を有していた。
なお、この前後にカトリック教会の宣教師でイエズス会の創設メンバーの1人であるフランシスコ・ザビエルが、ポルトガル政府の支援の下、マカオを拠点に東南アジア各地でキリスト教の布教活動を行っていた。
この頃のマカオは、日本が鎖国するまでは長崎との貿易で繁栄を極めた。しかし、その後は明清交替期の動乱や広東(広州)の対外開放により、アジアにおける一大貿易港としてのマカオは次第に衰えていった。