松本・懐かしのなわて通りを訪ねて・前編
Diary松本駅から本町通りを松本城方面に進むと,女鳥羽(めとば)川という川を渡る。川には千歳(せんさい)橋が架かり,この橋を渡ったすぐ右手に空き地が見えてくる。今は公園(「松本城大手門枡形跡広場」)になっているが,かつては鶴林堂(かくりんどう)という1890年創業の老舗書店が建っていた(2007年閉店)。1980年代,『日本沈没』上下巻を2日通ってすべて立ち読みした思い出深い場所だ。鶴林堂さん,Thanks!さらにドラマ「白線流し」(1996年フジテレビ系で放映)で,主演の酒井美紀が鶴林堂書店の前で倒れるシーンを撮った場所でもある(松本に住んでいる,住んだことがある人なら必ずや行ったことがある活字文化の殿堂だった)。【2022/6/30(木) 午前 5:00】 |
↓市内を流れる女鳥羽川(千歳橋から)

その公園の手前に西の入口があり,女鳥羽川沿いに建物が並ぶのが「なわて通り」である。なわて(縄手)通りは,江戸時代からあるが,すぐ脇にある四柱(よはしら)神社の参道として明治時代に整備され,現在に至る。以前は祭りの露店風のような建物だったが,21世紀になって長屋風の建物になった。昔からこの辺りにいたカエルが,通りのシンボルになっている。入口右手,女鳥羽川を背にして,「ガマ侍」像が立っている(2005年寄贈)。なわて通りは昭和を偲ばせるが,長屋風になったので,江戸や明治など様々な時代を彷彿させる不思議な街並になっている。店舗の半分は飲食屋台風で,座って飲み食いできる場所はないのに,アルコールの販売まである。物販は骨董品のようなシブいものや雑貨が多い。時々,外にお宝もののマシーン(わたがし機など)が置かれている。動くかどうかは不明。 |
通りの途中にある「若がえりの水」は2017年に作られた井戸水だ。なわて通りのかえるをモジって「若がえり」なのかどうかは定かではない。 |
四柱神社は明治天皇が行幸した神社で,名の由来になった4神が祀られている。明治5(1972)年に設置された神道中教院に始まり,明治7(1874)年に四柱の神【天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ),高皇産霊神(たかみむすびのかみ),神皇産霊神(かみむすびのかみ),天照大御神(あまてらすおおみかみ)】を祀ったことから四柱神社となった。「願いごとむすびの神」としてすべての願いごとが叶うという,パワースポットとしても有名である。なわて通りはそれ以来150年を経た,歴史のある通りである。 |
基地の街コザ(沖縄市3)~本島中部16
本島中部松本・中町通り歩き・後編
Diary「蔵のある街」と銘打った中町通りは,なまこ壁と呼ばれる蔵造りの建物が並ぶ昔懐かしい街だ。再開発で,きれいな街に生まれ変わり,若者やファミリー層相手の店舗が増え,松本市内の一大観光地になっている。松本といえば国宝松本城と開智学校,旧制松本高校校舎など歴史ある建物が観光地だったが,今はこのような街並が観光地化され,休日ともなれば,観光客で賑わうのは全国どこでもそうだ。【2022/6/28(火) 午前 5:00】 |
↓脇道にも「中町通り」効果?

中町通りのほぼ中間にある「蔵シック館」は元造り酒屋を利用した展示スペース及び茶房だ。休日は催しが行われていて人が集っている。「やまへい」は大正7年創業の食料品店で,すでに100年の歴史がある老舗だ。蔵以外の建物でも外観がほとんど昭和という店舗が少なくなく,確かに歩くだけで一昔前に戻ったような気になる。この中町通りの客寄せ効果もあり,脇道や裏通りにも観光客が流れ,松本は松本城と併せて,1日楽しめる街になった。もちろん温泉目当ての泊まりなら,市内中心部から4~5㎞離れた浅間温泉になるだろう。 |
松本・中町通り歩き・前編
Diary松本は40年前から知っている街で,5~10年に1回は訪れている。今回の日帰り旅では,昔から蔵の多い商店街「中町通り」を見に行ってきた。6月のある日曜日の午後,JR松本駅に降り立った。今回の松本来訪で改めて気づいたのだが,松本は城下町で,駅の東側から松本城にかけての広い区域で,道路は狭く,一方通行が多かった。それが,道路の拡幅化,電柱の地中化,商店街のアーケード撤去が進んで,駅周辺には美しいゆったりした通りができていた。沿道の建物も,東京にあるような無機質デザインのビルではなく,蔵をモチーフにしたり,蔵をリノベした城下町らしい建物が多々あり,見た目にとても優しい街並みに生まれ変わっていたのだ。【2022/6/27(月) 午前 5:00】 |
↓JR松本駅東口(2022年6月)

公園通りを通って中町通りに行くことにした(これが最短距離)。公園通りはJR松本駅から放射状に延びる道路の一つで,40年前は飲食店が多かったので,ゴチャゴチャ感があり,人通りの多い賑やかな通りだったが,古い建物は建て替えられ,電柱はなくなり,見た目には美しい通りに変わっていた。通りの途中にある,北信越(北陸3県+長野+新潟)唯一の「PARCO(松本PARCO)」は40年前から見た目はそれほど変わらず,PARCOと敢えて言われなければわからないくらい,ひっそりとした佇まいで建っていた。松本PARCOの前には中央公園なる公園ができていた。40年前にはなかった広い空間だ。その前には蔵風の造りの専門学校,公園通りを挟んだ向かいには,松本随一の老舗和菓子屋の「開運堂」があった。40年前の開運堂はそれほど大きな店舗ではなかったが,よほど儲けたのか,和菓子屋とは思えないほどのセンスのいい今風の大きなビルになっていた。 |
本町通りに出た。駅から松本城方面に出る道路だ。この道路沿いにもかつてはなかった大きな建物が建っていた。信毎(信濃毎日新聞)の商業施設だ(2018年オープン「信毎メディアガーデン」)。左を見ると伊勢町通りが見えた。40年前はアーケードのある狭い通りで一方通行だったはずだが,アーケードが撤去されずいぶんと車道も舗道も拡幅されていた。 |
いよいよ中町通りの西の端に到着した。中町通りは40年前も蔵の多い商店街で,飲食店はもとより物販でも老舗が多かった。しかし,当時は観光には力を入れておらず,蔵を改造した飲食店に寄る観光客や地元の人が少なからずいた程度で,休日でも賑やかさはなかった。ところが,現在は,観光に特化し,蔵造りの建物を若者や家族向けの商品販売の店に転用し,休日は店によっては行列ができる賑やかさになった。訪れたのは日曜だったので,観光客が確かに多かったが,車のナンバーはほとんど県内(松本,諏訪,長野)だった。 |
御開帳を見に長野善光寺へ行ってきた・後編
Diary仲見世を見て,復路は徒歩で長野駅に向かうことにした(善光寺・長野駅間は約2km)。緩やかな下りが続くので,わりと歩きやすい。善光寺入口の信号待ちでは,両側の舗道にこれから参拝に訪れる人がたくさんいた。長野駅からのバスはこの辺りまでなので,バスを降りた人たちもかなりいるはずだ。ここから本堂まではそこそこ歩くことになる。【2022/6/26(日) 午後 10:02】 |
↓仁王門をバックに参道を南下

長野駅から善光寺にかけての参道(中央通り)の善光寺寄りは門前町の雰囲気がたっぷり残り,江戸時代にタイムスリップしたかのようだ。古い建物を再生して使うリノベーションが盛んで,洒落たカフェも少なくない。途中,権堂(ごんどう)アーケード街があった。昭和が今に残っているような商店街で,かつての賑やかさはなくなったが,あいかわらず長野市随一の繁華街である。昭和に何度か来たが,確かに賑わっていた記憶がある。 |