世界遺産4 聖オーガスティン広場~マカオ28 - Yukky's ワールドウォッチング
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世界遺産4 聖オーガスティン広場~マカオ28

福隆新街を南に抜け右に曲がると,まもなく左に曲がる道路がある。そのまま直進すればそれほど起伏もなくいずれ下っていく道だが。左折する道路の先は急な上り坂になっており,地図も持っていないのでふつうなら直進するだろうが,しばし急坂を上るのもいい体験だと思い,左折する。まわりは住宅街だが,小さな店も混ざっている。左側に年季の入った古めかしい建物が見えてきた。玄関脇に人はいないもののマカオの警察署である。門番として警察官がいそうなものだが,シーンとして,この建物自体に人がいるのかどうかも甚だ疑問に思えた。少し歩くと丘のほぼ頂上に到達し,これ以上上る事はなくなった。目の前に,美しいタイルを敷き詰めた広場が見えてきた。広場といっても歩道を拡張したほどの小さな広場だが,ここが世界遺産に登録された「聖オーガスティン広場」だ。石畳がとてもきれいだ。と同時に,この広場を囲む,南側の「聖オーガスティン教会」,東方斜巷を挟んだ西側の「聖ヨセフ修道院」と「聖ヨセフ教会」,北側の「ロバート・ホー・トン図書館」すべてが世界遺産に登録されている。まさに世界遺産広場である。人通りはほとんどなく,見物にはもってこいだが,湿度90%以上の蒸し暑さに,あまり長居はしたくない。【2013/6/29(土) 午後 4:35】

↓聖オーガスティン広場
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↓聖オーガスティン教会とドン・ペドロ5世劇場
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「聖ヨセフ修道院」はイエズス会の修道士を育成するための機関として建てられたものである。その後,隣に教会も建てられた。ここに以前,コロアネ島の聖フランシスコ・ザビエル教会にあった「ザビエルの腕の骨の一部」はこの修道院に移され,保管されている。この教会はまさに,教科書にも記載され,現在もあるイエズス会の教会で,教会内部の天井にはイエズス会の紋章が刻まれている。近くの「聖オーガスティン教会」もイエズス会の管轄である。イエズス会はカトリックの男子修道会で,現在も世界に約2万人の会員がいるそうだ。中世から近世にかけてはポルトガルの力が強かった時代には,相当数の会員がいたことと思う。

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マカオへのポルトガル人の居留開始

1513年に、当時世界有数の海洋大国として世界各地にその覇権を誇っていたポルトガル人がマカオに初渡来し、明王朝との交易を開始した。

その後、1557年にポルトガルが明から居留権を得、中国大陸における唯一のヨーロッパ人居留地となった。但し、この時期のマカオの領有権はポルトガルではなく明にあり、明がマカオに税関を設置するなど主権を有していた。

なお、この前後にカトリック教会の宣教師でイエズス会の創設メンバーの1人であるフランシスコ・ザビエルが、ポルトガル政府の支援の下、マカオを拠点に東南アジア各地でキリスト教の布教活動を行っていた。

この頃のマカオは、日本が鎖国するまでは長崎との貿易で繁栄を極めた。しかし、その後は明清交替期の動乱や広東(広州)の対外開放により、アジアにおける一大貿易港としてのマカオは次第に衰えていった。
2013-07-13-13:31 ユダヤのアジア太平洋謀略
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