2022年の清里・前編1
▼清里(現在は山梨県北杜市)はかつて(主に1980年代の昭和末期),高原の原宿といわれた。夏にはアンノン族が殺到し,ペンションやかわいいカフェ,タレントショップ,土産店が乱立した清里の中心部は,人混みで本当に原宿のようだった。小淵沢からの列車(当時は国鉄)は時間帯によっては,東京の通勤ラッシュのギューギュー詰めで,ドアから乗り降り困難な時は窓からも乗り降りしたのを見たことがある。1982年に初めて行ったときは,人が多くて市街地を車で通り抜けるのに困難を窮めた記憶がある。その清里に2022年6月の平日に行ってきた。午前8時に新宿を出る特急「あずさ5号」に乗った。1977年発売の狩人(加藤久仁彦 · 加藤高道 の兄弟デュオ)の歌では午前8時新宿発は「あずさ2号」だったが,現在は中央線を走る特急「あずさ」と「かいじ」は同じ番号をつけずに発順に通し番号を付けることになったので,「かいじ2号」が残り,「あずさ2号」は消滅してしまった。途中小淵沢で小海線に乗り換え10時51分に清里駅に着いた。十数人が降りてきたが,あっという間に清里の街に消えていった。【2022/6/21(火) 午前 5:00】 |
↓新宿午前8時発の「あずさ5号」(現在は「あずさ2号」ではない)で出発

駅前にいきなり蒸気機関車C56が保存され,その先に「清里高原観光案内所」があった。中にはパンフレットが置いてあって,係員がひとりいるだけで,真夏の観光シーズンにでもならなければ訪れる人もめったにいないだろう。駅前に行くには整備された公園の階段を降りていく。駅前は案の定,半分以上の店のシャッターが閉まっていた。何軒か土産物屋が営業していたが,車はたまに通るものの,駅前通りを歩く人はまばらゆえ,土産物屋はもちろん閑古鳥状態だ。観光シーズン前の平日の日中とはいえ,40年前の賑わいを知る者としては寂しい限りだ。西の方へ歩いていくことにした。当時から存在しているだろう古びた建物がまだ点在し,カフェなどとしてほそぼそと営業していた。 |
清里の中心部随一のコンビニ「ファミマ」を発見した(牛のオブジェは当時の名残か?)。店内に客の姿はなく,店員が2人いた。ファミマの入る建物はどう見てもペンションっぽい造りで,もしや,と思って昔の写真を探すと,1982年8月19日に来た時のペンション「SUZURAN」の建物だった。多少リフォーム・改造はしているが,屋根の形や窓枠には当時の名残がある。40年前の記憶がよみがえる発見だった。1994年9月2日に訪れた時は,清里ブームはもう下火だったが,「SUZURAN」は営業していた。駅前通りにはタクシーもあって,人は少ないものの町にはかろうじて活気はあったような気がする。 |
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