1992年末明洞界隈
▼今でこそソウルの明洞に行けば,日本人や中国人で賑わっているが,1992年末は年の瀬を迎え,クリスマスセールで賑やかな明洞界隈で日本人に会うことはなかったし,中国も観光目的の海外旅行が禁じられていたため,中国人も皆無で,明洞は韓国人だけの繁華街だった。日本人が韓国に入国するには,観光でもまだビザが必要であった時代で,日本文化(書籍・音楽CDなど)の輸入は禁じられていた。とはいえ,明洞の片隅で日本のファッション雑誌が並べられている光景も目に入ってきた。ロッテ百貨店では,ソニー製のビデオカメラのテープが高価だが買うことはできた。工業製品には制限がなかったようだ。高価なのは需要自体がほとんどなかったからだろう。ロッテ百貨店では,エレベーターガールが気軽に被写体になってくれるほど,商売人の愛想はよかった。韓国がある面遠くて,ある面近い国ということが実感できた。【2017/8/16(水) 午前 9:04】 |
↓明洞界隈

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