北欧のヴァイキングは食べ放題とは何の関係もない~オスロ16
▼日本では食べ放題をヴァイキングと呼ぶ(日本だけでしか通用しない言葉。いわゆるガラパゴス用語と言える。)。これは帝国ホテルで1958年に,北欧のスウェーデンに「スモーガスボード」という何種類かの料理が並ぶメニューがあり,北欧の料理とそれを連想させる北欧の海賊ヴァイキングを何となくイメージして名付けたのがヴァイキングだ。それ以来,食べ放題のことを日本ではスモーガスボードならぬヴァイキングと呼んでいる。本来はこのような料理はbuffet(ビュッフェ,アメリカではバフェ)と呼ぶ。日本以外で食べ放題を探してもヴァイキングという言葉は出てくるはずはない。 |
前置きはこのくらいにしてヴァイキングは中世,それも8世紀~11世紀にかけて,西ヨーロッパ沿岸部を荒らしまわった武装船団(海賊)である。優れた航海技術を持っていたことで,当時立ち向かえる国や人々はいなかったらしい。そのヴァイキングが使っていた船が陳列されているのが「ヴァイキング船博物館」である。ここはオスロ大学自然史博物館の一部になっている。場所はヴィグドイ地区北部にある。ツアーに組み込まれ団体客が多いので,館内はいつも込み入っているようで,とてもゆっくり見学できるような雰囲気ではない。。【2016/9/19(月) 午後 7:54】 |
↓「ヴァイキング船博物館」の建物

館内に入って真っ先に目に入ってくるのが,1904年に発掘された,全長22mのオーク材製のオーセバルク船だ(オーセバルク墳墓で発見されたのでこの名がある)。9世紀に活躍し,女王の死後に遺体とともに埋葬されたものである。ヴァイキングは船を埋葬するという習慣があった。さらに奥には全長24mのゴークスタット船が置かれている。890年ごろ建造されたものである。船はもう一隻,完全には復元されていないテューネ号が展示されている。これら3隻のほかに,ヴァイキングに関しての展示もある。船は目線より高い位置に置かれているので中が見えない。写真を撮ろうにも下から写すことになるので,ちゃんと展示室の端にお立ち台ならぬバルコニーが取り付けてあり,写真スポットとして使えるが,それでも28mmレンズに全体を納めることはできず,24mmレンズが恨めしい。中がどうなっていたかはそのお立ち台に上がってようやくわかることになる。1000年以上前の木造船が発掘されるということは,日本でも遣唐使船などが発掘されてもよさそうなものだが,とふと思ったが,埋葬する習慣がなければ無理だろう。 |
↓オーセバルク船

ここから,ヴィグドイ地区南部へ歩いていくこともできるが,炎天下のため,フェリー乗り場に戻って,1区間乗ることにする。それでも10分弱は住宅街を歩くことになるが,この辺りは木々が多く,木陰を歩けるので,暑いといっても快適なウォーキングだ。 |
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