「ベレンの塔」から「発見のモニュメント」へ~リスボン9
▼「ベレンの塔」あるいは飛行機から見えた「発見のモニュメント」へ歩いて行こうと思い,「ベレンの塔」を降り,テージョ川沿いではなく,内側の道路を東に進んだ。すると右側(南側)のテージョ川沿いにヨットハーバーが見えてきた。川とはいえ,河口に位置し,大西洋は目の前という絶好の場所なので,ヨットの係留にはもってこいの場所といえよう。炎天下の8月のリスボンはさすがに暑い。歩いて数分なのだが,暑さでバテてきた。体を冷やそうと思った矢先に,イタリアン・ジェラートの店の看板。迷わず店内に入り,しばし寛ぐ。体が冷えた後は,内側の道からテージョ川に沿った道へ移動。海に見えてしまうが,れっきとした川である。【2016/9/19(月) 午後 4:32】 |
↓「ベレンの塔」から東に見える「発見のモニュメント」と「4月25日橋」

テージョ川沿いに出ると,東に「発見のモニュメント」と「4月25日橋」。「4月25日橋」の「4月25日」とは,1974年4月25日の無血革命にちなんで名づけられたもので,当初はサラザール橋とよばれていたとか。道路橋と鉄道橋の2階構造になっており,後日,エヴォラへ急行バスで行ったときは,往路だけこの橋を渡った。一方,西側を見ると,大西洋の河口に向けてテージョ川が延びている。川沿いの遊歩道には,日陰はないので休憩所を兼ね屋台が出ている。ようやく着いた「発見のモニュメント」は間近で見ると大きい。飛行機からもはっきり見えるほどだから,当たり前だが。「発見のモニュメント」は1940年のポルトガルでの国際博覧会の際に,大航海時代を記念して建てられた記念碑だが,当初はもろい構造だったので1960年に再度制作されたため,現在のものはその1960年に建てられたものである。北側の広場には,世界地図が描かれ,ポトガルの海の歴史が描かれている。地図上の日本には「1541」という数字があり,ポルトガル人が日本に初めて到達したのは1541年(豊後に到達)であることが示されている。歴史では1543年の種子島に鉄砲を伝えたと出ているが,日本の記録には残されてないものが多いので,食い違いが出るのだろう。 |
↓川沿いの遊歩道には観光客に混じって,ジョギングする人も

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