旧市街を歩く1~タリン1
▼エストニアと聞いて思い浮かべるものといえば,大相撲に興味がなくても,エストニア出身の元大関「把瑠都(バルト)」の名くらいは出てくるだろう。それ以外といえば,あまり知られていないが,ICT先進国で,「スカイプ」の発明国であるとともに,15歳以上の国民全員にIDカードが配られ,会社の登記や納税を含む全ての行政手続き,選挙の投票,銀行決済から学校の宿題までPC+インターネットで処理できてしまうのだ。これを聞くと,日本はマスコミがおだてるほどICT国家ではないことがよくわかる。 |
ヘルシンキからの船を降りて歩き出すこと5分,右側(西)にかつて何かの工場だったらしい古びたレンガ造りの建物が見えてくる。ロシア支配下の名残だろうか。まだ独立して20年ほどしか経っていないので,ロシア時代の残骸も多く残っているようだ。市民ホール周辺は木立があり,公園緑地になっている。そんな景色を見ながら,市民ホール港で船を下りてから歩くこと7~8分で,車の通行量が多いプフヤ大通りの横断歩道に到達した。それまで車とすれ違うこともなかったが,ブフヤ大通りはエストニアで見る初めての車の往来だ。長い間ロシア支配下にあったとはいえ,東欧で旧ソ連の影響下にあった時代から作られてきた古びた車が走っているわけではなく,ドイツ系などの高級外車もたくさん走っている。どちらかというと小型車が多い印象だ。国土面積が小さいことや起伏があまりないことから馬力のある車は必要ないらしい。左側(東)に進むと,リンダ・ライン以外の船会社が発着するタリン港がある。車の往来が多いので,歩行者用信号はすぐに替わってしまい,待たされる時間が長いので,横断歩道を渡るにも時間がかかる。横断歩道を渡り終え,トラムの線路を横切り,石段を上ると,ようやく城壁が目の前に迫る。『ふとっちょマルガレータ』と呼ばれる,確かに,太った塔が城門(グレート・コースト・ゲート)の東側に建っている。この塔は。16世紀に建てられた砲塔で,直径は24mもあり,砲塔としての役目を終えてからも,倉庫や牢獄などに使われていたそうだ。現在の役目は何と海洋博物館だ。ここから城壁内(旧市街)に入っていくのが,ヘルシンキから船を使って観光に訪れた場合のお決まりコースだ(タリンの旧市街を出る時はここの門から出るとは限らない)。。【2016/9/19(月) 午後 3:39】 |
↓ロシア時代の名残だろうか

旧市街に入ると,石畳の道が南に向かって続く。ピック通りだ。両側はほとんど中世のドイツと変わらない街並みに一変する。歩道は狭く,あってもないようなものだ。路上に駐車してある車はほとんど真新しい。古めかしい車は停められていない。先ほどリンダ・ラインから降りた客もほぼ一緒に進んでいく。入城して間もなく,右側にほぼ同じ形の木組みの家が3軒並び,お互いが寄り添うようにくっついているのが見えてくる。これが「三人姉妹(スリー・シスターズ)」と呼ばれる建物群だ。女性的な柔らかさのある建物だから付けられた名前である。現在は改装され,3軒繋がってホテルになっている。城壁内のライ通りには「三人兄弟(スリー・ブラザーズ)」と呼ばれる建物群もある。見比べるとその名前の違いがはっきりわかるだろう。圧倒的に,スリー・シスターズの方が人気が高いようだ。 |
↓旧市街はドイツのような街並みだ

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