ハーバークルーズ3~マルタ80
▼スリーシティーズの3つの半島をくまなく見ていく。いちばん西のセングレアは要塞になっている半島全体が住宅地になっていて,ヴァレッタとは街の造りそのものが異なり,とても入り組んだ街である。細い路地が多いのは、敵が入ってきても守りやすくするためだった。聖ヨハネ騎士団が最初に作った街の一つらしく、街のいたるところ(ドアや教会の壁など)にマルタ十字が掲げられている。ただし、ヴァレッタよりも住宅地らしく、店はあまり目ないようだ。マルタ・ストーンの建物は中世から近代にかけて建てられたように見えるが,実はこの街は第二次世界大戦でほとんど破壊され,戦後に復興された街である。船はヴァレッタとスリーシティーズの間のグランドハーバーからフレンチクリークに入っていく。セングレアの半島の西側の湾であるフレンチクリークには造船所のドッグが多い。かつてはイギリス軍の受注や戦争の特需があり,造船業は活況だったが,今は衰退し,建造なり修復なりが行われているドッグはごくわずからしい。【2016/9/19(月) 午前 10:13】 |
↓セングレア南西側フレンチクリーク沿いの家並み

セングレアの先端の監視塔をまわり,今度はセングレアの半島とヴィットリオーザの半島の間にあるドックヤードクリークに入ってくると,フレンチクリークとは様相が異なる。まずクリークの入口にあるヴィットリオーザ半島の先端部に聖アンジェロ砦が見えてくる。この砦はマルタで最も古い。ヴィットリオーザは聖ヨハネ騎士団が最初に作った街(というより要塞化した村)で,ヴァレッタに街が建設されるまでは都だった。そのための守りとして砦が築かれたわけである。クリーク沿いに建つ大きな建物は海事博物館で当時は騎士団の武器庫だった。その右後方には16世紀に建てられたバロック様式の聖フローレンス教会が威容を誇っているが,この辺りも第二次世界大戦で大きな被害を出したところである。 |
↓セングレアの監視塔

クリークには,港湾施設がありヨットハーバーがある落ち着いた佇まいである。全体に活気があり,人の姿があちこちに見える。カヌーの練習をする人々や停泊しているヨットの上で何やら準備をする人など,見ていて優雅な気分に浸れるクルーズである。ヴィットリオーザの街はマルタ・ストーンが夕日に輝き,美しい景観である。この街も入り組んでいて道は狭く,セングレアと似た街だ。寛げる店もないので,広場には必ずといっていいほどイスやテーブルが置かれている。 |
↓ヴィットリオーザのヨットハーバー

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